日本のロックについて、あまり書いていなかったので、紐解いてみます.
最初はロカビリーブームで平尾マサアキがキャーキャー言われておりました。その後、ビートルズやマージービートに影響されて、グループサウンズが流行ます。タイガース、テンプターズ、ゴールデンカップスなど、サイケな感じのバンドもいました。
日本で最初のハードロックバンドは、沖縄の紫と言うバンドで、ディープパープルのコピーバンドでした。沖縄にはコンディショングリーンという面白くてカッコイイバンドもいました。しかし、どれも英語で歌っており、日本語をロックで歌うのは、どうもイモ臭くなってしまい、さまになっておりませんでした。一番様になっていたのは、フラワートラベリングバンドで、ボーカルはジョー山中というハーフの人でしたし、英語で歌っていたので、巧い事はうまいのですが、日本語を乗せるという課題はクリアされておりません。
どちらかと言うと、フォークの方が日本語をのせやすかったようです。フォーククーセーダーズから、加藤和彦がサイケデリックミカバンドを結成します。当時流行のグラムロック、特にロキシーミュージックを意識したようなバンドでしたが、和風な感じもだしておりました。イギリスでライブをやったりして、ロキシーのプロデューサーだった、クリストーマスに依頼して、名作、黒船を録音します。しかし、それがきっかけで、奥方のミカをクリスに寝取られてしまい、離婚。残ったメンバー高橋幸宏、高中正義、後藤次敏でサディスティックスを結成します。これはかなりファンキーな感じになります。
日本語を巧くロックに乗せ出すのは、ベストテンと言う番組から有名になったサザンオールスターズを待たなければなりませんでした。その番組からは、チャー、ツイスト、原田真二が出てきます。歌謡曲ともロックともとれる音楽で人気を博していきます。
同じ頃バウワウも出てきますが、ボーカルは山本恭二がとっており、下手でした。その後、ちゃんとしたボーカリストを入れてから、外国でも通用するロックバンドになります。
圧巻は、フォークバンドから、オーティスレディングを意識したリズム&ブルースを志向し、中井戸麗市をいれてからは、ストーンズを意識しながらも、独自のカラーを出していった.RCサクセッションでしょう。パンクヘアーでリズム&ブルースを歌う忌野清志郎がおかしかった、ステップと、ライブアルバム、ラプソディーで一躍人気者になっていきます。
ドイツのクラフトワークの影響でテクノポップが流行り出します。日本からはYMOが出てきて、オリエンタルな風味もいれて、イギリスなどで人気を博します。当時のシンセはプリセットがなかったので、いろんな音色を発するYOMは憧れの的だったのです。
80年代に入ると、爆風スランプや、筋肉少女帯、米米クラブなどコミックバンドが人気となります。そして、原宿のホコテンや、イカ天といった番組からバンドブームが起こります。イカ天で有名になったが、独特の音楽性を持った、たまです。こんな個性的なバンドに人気がでると嬉しくなります。そして、日本で唯一のファンクバンドといっても過言ではない、フライングキッズ。ブランキージェットシティー、そして、リザーブの時も入れて、5週連続満点だったマルコシアスバンプ。最後の坂上二郎が挑戦者に入れなければ,満点だったのです。審査委員が坂上二郎じゃなければ。間違いなく満点でした。マルコシアスは、テクニックのあるT-REXと言う感じで、艶かしくグラマラスでカッチョ良かったのです。
90年代に入ると、いよいよ日本語もロックに馴染んできます。それに大きく貢献したのが、イエローモンキーとMrチルドレンです。このバンドの日本語の使い方が非常にロック的で決まっておりました。イエローモンキーのヨシイロビンソンは現在でも、変わらずその個性を発揮しておりますが、ミスチルは、当時は確かにミスチルマジックを持っておりましたが、ここ5作品くらいはマジックを無くしております。はっきり言って、もう終わっております。何の説得力も感じません。
言葉使いが急にはまり出したのは、ラップの影響は大です。ヒップホップは、無視しては通れない歴史的事件ですが、それを何十年もやる事には、何の意味も感じません。いい加減誰かが終わらせなければならない、と思っております。誰も彼もラップするというのは、イモ臭い意外のなにものでもありません。いい加減、人と同じ事をするのは、止めようじゃありませんか。個性のない音楽はロックではありません。ちなみに、J-POPは歌謡曲です。ロッックとはなんの関係もありません。